米国Steadman Philippon Research Institute留学記 (後編)

福るん日記

こんにちは、福るんです。さて、今回は、ついに完結、留学記(後編)をお届けしたいと思います。

 

もしここで留学報告を終われば、私がいかに真面目で留学している間、まるで手術見学や研究、論文作成ばかりをしていたかのように勘違いされるのではないでしょうか。正直申しますと実はそうでもなく、この1年間に私は一生涯でこれほど多くの旅をすることはないだろうというくらいたくさんのひとり旅、家族旅行をさせて頂きました。

訪れた国立公園、国定公園は30か所近くに上ります。どの国立公園もその眼下に広がる風景と言えば、これまで見たこともない景色ばかりで見る者を圧倒するものばばかりでした。

なかでも私が最も惹かれた国立公園はコロラド州の西隣、ユタ州にあるArches national parkでした。おそらく日本で有名なアメリカの国立公園と言えば、Grand CanyonやYellowstone、それからNiagara Fallsなどで、Arches national parkは御存知ない方もおられるのではないかと思いますが、ここは私にとって非常に印象深く、生涯忘れることのできない場所となりました。

初めて公園内に足を踏み入れた時、自分が火星?(火星に行ったことはありませんが…)にいるのではないかと錯覚を覚えるほど極めて不思議な光景が目の前に広がっていました。結局私はこの1年の間にここを5回も訪れることになるのですが(車で4時間程ととても近かったので)、特に月明かりに照らされたBalanced Rockや夕日に染まるDelicate Archはとても神秘的でその姿と言えば例えようのないくらい荘厳かつ美しいものであり、その時間は私にとって生きる喜びを実感させてくれる瞬間だったように思います。そしてこの静けさに佇む広大な大地を見て自分が死んだら遺骨をこの母なる大地に帰してほしいと感じるような不思議な感覚に襲われました。行かれたことがない方は是非グランドキャニオンのようなメジャーどころではなく、ここArches national parkに行かれることをお勧めします。

この他にもユタ州とアリゾナ州の州境にある世界で最も美しい自然造形として称えられる、通称 ”The Wave” で知られるNorth Coyote Buttes にも訪れることができました。ここは1日に抽選で当選した20人しか立ち入ることが許されない場所です。幸運にもその権利を勝ち得た私は、もらったsecret mapを片手に片道2時間かけて道なき道を進み、この地に足を踏み入れました。例年真夏には道に迷い、脱水で命を絶つ者もいると聞いた私は、無事帰れるだろうかと不安にかられる一方で、大人になってからこの時ほど童心に返って胸を躍らせたことはなかったのではないでしょうか。

ニューヨークに行ったときにはヤンキースタジアムにヤンキースの試合を見に行き、黒田投手のピッチングやイチロー選手のホームランを見ることができました。

Yellowstone national parkではバイソンの大群が我々の車のすぐ横を悠然と通り過ぎる奇跡の瞬間に出くわすことができ、子供たちは目の前のバイソン達に少し怯えながらもそれはとても興奮していました。

当然行く先々でトラブルもたくさんありましたが、総じてそれらすべてが私たち家族にとって何ものにも代え難い大切な思い出となりました。そして多くのトラブルに見舞われながらも家族で力を合わせてそれらを乗り越えたおかげで、日本ではおそらく感じることができなかっただろう家族の絆や家族の大切さを体感できたのではないかと思っています。そんな家族が長女の学校のことなどもあって、私よりも1か月ほど先に帰国することになりました。そして帰国当日、デンバー国際空港まで送って行ったとき、空港で長女が私に一通の手紙をくれました。そのとき私は、おそらく長女が「早く帰ってきてね」のような手紙を書いてくれたのだろうと思っていたのですが、家族を送り届けた帰り道、車を路肩に止め手紙を開封してみると、そこには妻が私に宛てた手紙が一通入っていました。実を申しますと妻はこの留学に、はじめ全く乗り気ではありませんでした。と言いますのも次女がまだ1歳を過ぎたばかりだったもので、楽しみよりも不安の方がすっと強かったからです。それを私が半ば強制的にアメリカに連れてきたわけでありますが、そんな妻がアメリカでの生活を終え、こう記してくれたのです。「アメリカに連れてきてくれてありがとう」と。この1年間、これまでに経験したことがないことばかりで喧嘩もいっぱいしましたが、この手紙を目にしたときほど妻や娘たちのことを愛おしく思ったことはありません。

このとき私は悟ったのです。この留学で学んだ一番大切なこと、それは

Nothing is more important than family

ということです。この1年のアメリカ留学 が儚くも短い人生で一番大切なものとは一体何か、ということを教えてくれたと私は思っています。

最後になりましたが、若き日にSir Charnley(人工股関節の父で、股関節外科医でその名を知らない人はいません)のもとで仕事をされていた、現在はSPRIの顧問としておられるFeagin先生から帰国の折りに頂いたメッセージをここに記し、私の留学記を締めくくらせて頂きたいと思います。

Do the right thing, At the right time, For the right reason

                                                            John Feagin

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